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巨大な書物   A huge book

更新日:2021年4月7日

2010年に私が初めてパリに行った時のことをお話しします。

とりあえずウロウロと思いつく場所を訪ねていたうちの1つに、ノートルダム寺院があります。初めてどこかを訪れる時、下調べをする人とそうでない人がいると思いますが、私は後者です。初めての瞬間は一度しか得られないので、出来るだけ自分に開かれているようにしておきたいし、何を受け止めるかは自分で思いもよらないこともあります。

 さて、しばらく見学していて惹かれたのは外壁や内部の柱、壁面を覆うレリーフでした。それを見ていると大体が上を向くような感じで歩くことになるのですが、何で気になるのだろうと思いながら上を向く感じで見学をしていました。その後外に出て、少し離れた場所から寺院全体を眺めていると、突然目の前がこんな光景に切り替わりました。

 寺院の上から下に向かって、緑に発光する文字が流れ出て全体を覆っている。ほんのしばらくの間、流れ落ちる緑の発光を見ていました。もしくは見ていた気がしたのかもしれませんが、今でもその光景は目の中に残っています。自分でもなんとも説明のつかない体験ですが、そのことによって、結果的にはこの建築を理解したような感覚でした。緊張と感動のようなものもありました。そして”緑に発光する文字列”で思い出すのは、映画「マトリックス」のシーンです。変なのなぜ?、という思いも同時にありましたが、matrixという単語は、文字列、数列、鋳型といった意味があります。

さて、建築を覆うレリーフですが、それらには物語や意味が込められています。ですので、それは言語と交換可能なものです。そこで私は、この建築そのものが文字に覆われた書物のようなものでもあると理解しました。そして、遡るほど識字率が低かったことを考えれば、ことさら言葉として発せられるものは視覚的であったことは容易に考えられます。それだけでなく、キリスト教の中でも聖書を一般に広めたのはプロテスタントなのだと思うと、カトリックの寺院としての佇まいなのだということでもあるのかもしれません。また、鋳型として考えるとき、都市の実空間の中で建築そのものが書物のようであることで、まさに巨大な教義の原型のようなものでもあったと思いました。「マトリックス」という映画も比喩的で興味深いです。

 私はいつもこんな感覚で物を見ているわけではありませんが、ごくたまにこのように体験的に物の意味を理解することがあるように思います。またノートルダム寺院を見たら同じ光景が見たいと願っていますが、たぶんその時だけの特別な体験だったのだと思います。

2019年、寺院は火災にあいましたが、完全に消失したわけではなく、それは幸いでした。













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